卒論を書く学生は、ナチスの囚人のようだ

卒論データベースを立ち上げました。kumajimaです。
 
 
 
さて、僕がこのプロジェクトを実現したい理由は、自分の書いた卒業論文が誰にも見られていない、せっかくみんな長い時間と若いアイデアを費やしたのに役に立っていない…
 
この現状をどうにか変えたいと思ったからです。
 
 
 
実際にTwitterにて卒論に関するアンケートを取ってみました。
その、結果です。
 
 
票数はkumajimaの影響力のなさで、劇的に少なくはありますが…

 

 

 
 https://mail.google.com/mail/u/0?ui=2&ik=68afb8ed38&attid=0.3&permmsgid=msg-a:r-1989592498689149098&th=1696d12261ccb591&view=fimg&sz=s0-l75-ft&attbid=ANGjdJ_2GAwQgSZAp_ce7p4nB4GNUi-cnRG41gztsW0Qj5OG3PyJFUlG9jfDcYgqETkH842za9Mp_aPi0sdSS06mhKiS8nKjeDRXlfJ93o0Av_gIRG6Bi9tc-gqku8A&disp=emb&realattid=1696d10e59b3764c7364
 
 
 
自分の書いた卒業論文が役に立っていないと感じる…75%
 
自分は何のために、卒業論文を書く(書いた)のだろうと思ったことがある…68%
 
 
 
多数の人が卒業論文の存在に疑問を感じています。
卒業論文を多くの大学生が書くにもかかわらず
 
本来、卒業論文というのは、大学四年間の学習の集大成であり、それだけ生きて貯めた経験・知識をかけた人生の集大成でもあると思います。
 
多くの発想、アイデアをもつ若い学生が長い時間をかけた、この作品をこんな形にするのはあまりに勿体無いです。
 
卒業論文を、これから書く人、書いている人も、何のために書いてるか分からない。卒業するためだけに書いている状況では、力が入るはずもありません。
 
 
当たり前ですね。
ナチスの囚人に課せられた罰のように。
ナチスの囚人には穴を掘って埋めるという罰が与えられたことがあります。穴を掘らせては、それを自分たちで埋めさせる。それを永遠と繰り返させる。
何のためにやるのか分からない囚人たちは、耐えられず絶えていくそうです。
 
 
何のためにやるのか分からない卒論は、その形に似ています。せっかく書いてできた、力作のアイデアは形にならず埋れてく。長い時間をかけ役に立たないものを作る。
 
ナチスの囚人と同じ考えになってしまうかもしれません。
 
 
勿体ない。変えたい。この現状を。
 
 
卒業論文のアイデアを共有し、形にしよう。
 
 
 
 
 
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