人はなぜ分かり合えないか

kumajimaです。
 
 
さあ、今日は「卒業論文データベース」とは関係ないことを書きたいと思いいます。
 
それは、「人はなぜ分かり合えないか?」という永遠の命題についてです。
 
 
 
男女間や、恋人同士でも、分かり合えないないと思うことは多々あるんじゃないでしょうか。
 
 
ホワイトデーなんて記念日も、男からしたら、よく分からないって言う人も多いですね。
 
 
でも、もっと言えば、友人同士、上司と部下、人と人がいれば分かり合えないと思うことはあります。
 
 
何故なのでしょうか?
 
 
例えば、こんなカップ
彼女は
「LINEの返信がとても早くてマメだ」
彼氏は
「LINEの返信が遅くマメではない」
 
こう言う男女の差、よくありますね。
 
こういう小さなことが発端で、喧嘩につながることもあります。
 
何故こんな差が生まれるのか。
どうしたらこの差を埋めることができるのか?
 
 
 
私の結論としては、
「この差を埋めることはできない」
と思います。
 
人は完全に分かり合うことはできないのです。
なので、こんなことで喧嘩するのは無駄だし、説教なんてするのももってのほか。
 
 
 
なぜなら、このようなことは一人一人の「好み」に過ぎないのだから。
 
 
 
考えてみてください…
例えば、
Aは「トマトはおいしい」
Bは「トマトがまずい」
 
こんな2人がいたとします。
意見が異なっていますね。
でもこの場合、トマトが、おいしいか、まずいかで喧嘩になる人はまずいません。
 
2人ともこの差の原因が「好み」だとわかるからですね。
 
一人一人別人なんだから、同じものを食べても、感じ方が違うのは当然なんですよ。
 
食べ物じゃなくても、同じことだと思います。
一人一人別人なんだから、同じ出来事でも、感じ方が違うのは当然です。
 
 
でも、食べ物で例えると簡単に分かることなのに、普段の意見の違いでは、それを分からないことがあります。
 
 
「トマトはおいしいものだ」
「トマトをまずいと言っている人は間違ってる」
 
こんなことはしても無駄だと分かっているのに
 
「LINEは早く返すべきだ」
「LINEの返信が遅いやつはおかしい」
 
 
などと、自分の意見をつい、押し付けがちです。
 
 
でも、こんなの分かり合えるはずがないんです。
 
 
トマトを美味しいと思う人がいて、不味いと思う人がいる。
これでいいのです。
 
 
男女、友人、同僚、部下上司…
「分かり合えないことを分かり合う」
これが大切なのです。
 
 
そうすれば自分の意見を相手に押し付けることもなくなるし、互いを認め合うことができます。
たくさんの個性があって、考え方が違って、そっちの方が面白いし、ストレスも減りますよね。
 
 
学校でも、企業でも、集団においても大切なことは、
「意見を統一することではなく、認め合うこと」だと思います。
 
 
 
 
 
 
ただ、その中で「譲れない部分」が、人にはあると思います。
「これはこうでなければならない」という部分が。
 
 
ただ、それを押し付けても、その人の意見は変わることはありません。好みなのですから。
ただその人にストレスを与えるだけになります。
 
 
 
押し付けることなく、「譲れない好み」が同じ人。
そんな人が、一生の友人になったり、生涯の恋人となるのかもしれませんね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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