【特大号】平成のM1グランプリを振り返る①~漫才と笑いの変遷、M1で優勝できる漫才とは?~ 

kumajimaです。

 

 

もう少しで元号が変わってしまうということで平成を振り返ろうと思いました。

 

 

そこで、今回振り返るのはM1グランプリです。

 

 

お笑いおたくを自負するkumajimaが今回、死力を尽くして書き上げたので是非ご覧ください。

 

まず、概要としてM1グランプリ

現在、14回大会まで開催されています。

 

 

2001年から2010年の10回の大会をM11

 

四年の歳月が経ってからの

 

2015年から2018年の4回の大会をM12  

と、したいと思います。

 

 

今回は、M1がどのように変化してきたか。それにより漫才、笑いには、そのような変化があったのか?

 

 

今回はM11期を振り返っていきたいと思います。

その年の順位を記した後に、その年ついての考えを書きたいと思います。

 

 

 

長いです!笑

徹底考察しました!

 

 

 

   

 

1 2001

 

優勝 中川家

2 ハリガネロック

3 アメリカザリガニ

4 ますだおかだ

5 麒麟

6 フットボールアワー

7 キングコング

8 チュートリアル

9 DonDokoDon

10 おぎやはぎ

 

 

 

1回は審査方法が現在とは異なっていた。

通常の審査員がひとり100点を持っているのに加えて、各地方(札幌、大阪、福岡)の一般客審査員の合計点で点数をつけられた。

審査員7×100点と地方3×100点の計1000点で付けられた。

 

 

地方点では、地方びいきがあり、東京の漫才師である、DonDokoDonには18点、おぎやはぎには8点しか入らなかった。疑問の残る審査方法だった。

 

 

この当時は審査員にも偏りがあり、関西出身の芸人が目立った大会だった。

 

 

優勝した中川家の審査員の合計得点は596点で一人平均、85.1点と歴代優勝者で最も点数が低い。

最下位の審査員点数も歴代最低点であり、大会が始まったばかりで、レベルが今ほど高くなかったと考えられる。

 

 

一方で、点数の付かなかった原因は、「審査員基準点」が曖昧だったこともある。

 

 

現在は一人一人が「面白かったら90点以上」のように決めていることも多いが、M1創世記では「面白かった70点以上」「面白かったら90点以上」の人など各審査員にバラツキがあったため点数が低くバラツキを伴なったと考えられる。

 

 

審査員の松本人志は、この大会でつけた最高点は75点、2番目が70点と低得点だが、好評にてとても面白かったと語っていて基準点が今より低い人も多かった。

 

 

また、松本人志が最高点の75点をつけたのは全体5位の麒麟など、評価がばらけていた。

 

 

M1創世記であり、漫才師が自分のスタイルを模索する一方で、審査員や番組のスタイルも、まだ模索段階にあった

 

 

ちなみに、出番順1番で優勝したのはM1史上中川家のみであり、他の賞レースをみても珍しい。

 

 

M1創世記。自らのスタイルを模索する時代であったといえる。

 

 

 

 

 

2 2002

 

優勝 ますだおかだ

2 フットボールアワー

3 笑い飯

4 おぎやはぎ

5 ハリガネロック

6 テツandトモ

7 スピードワゴン

8 ダイノジ

9 アメリカザリガニ

 

 

 

この回の優勝である、ますだおかだのツカミは、

松竹芸能ますだおかだです」

 

 

大阪の吉本が製作をしている番組でおり、吉本以外の事務所が勝てないと言われていたことを皮肉した名言である。

 

 

実際に、吉本以外のコンビで優勝したのは、現在までの全14回で3組のみ。

 

 

吉本が贔屓されているという声もあるが、劇場数が多く、ネタをたくさんできることや、芸人の数が多いことを考えると単に吉本芸人が実力があるだけだとも思われる。

 

 

ちなみに、ますだおかだのネタは皮肉や風刺が多く、DVDにはピーの音声で消される単語が多く何を言っているか分からない。

 

 

コンプライアンスも今ほど高くなく自由度が高かったのがこの時代

 

 

テツandトモは、漫才の大会だが、ギターを持ち出したネタである。

 

 

この年から敗者復活戦が導入され、敗者復活戦を制したコンビが出番順最後に登場するという形だった。この方式が2010年まで続くが、一番手と最終番手の点差は大きく、疑問視の声もあった。

 

 

2002年も、まだルールや審査員のスタイルの模索が続き、漫才師も自分のスタイルを求めて自由な漫才を行なった。

 

 

この年の1位から3位は全員M1優勝者であり、M1の基礎を築いた大会と言える。

 

 

 

M1の基礎を築いた時代。漫才はフリースタイル。

 

 

 

3 2003

 

優勝 フットボールアワー

2 笑い飯

3 アンタッチャブル

4 2丁拳銃

5 りあるキッズ

6 スピードワゴン

7 アメリカザリガニ

8 麒麟

9 千鳥

 

 

 

優勝はフットボールアワー。第一回大会から出場し、優勝後、第6回大会でも出場しているが、全てにおいて本戦まで進んでおり実力が高いコンビだった。

 

審査委員長の島田紳助から、「一年で最も成長したコンビ」と評価されていた。

 

 

M1という漫才の大会を通して成長するコンビが出てきて、M1レベルも上がってきた。

 

 

フットボールアワーの得点は700点中の663点であり、一人平均が94点超。

漫才のレベルも上がり、審査員の基準点も統一されてきた。

 

 

ルールも結成10年未満から10年以内に変わり、ルール、審査方法ともに安定が見られた。

 

 

この年の決勝三組も全組歴代優勝者であった。

 

 

笑い飯、千鳥、麒麟などM1本戦常連組など安定した実力者たちも出てきて、各漫才師のスタイルが確立されてきて、M1としての大会が完成されてきた。

 

 

 

完成に近づくM1。ハイレベルな戦いの裏にあるのはM1を経ての成長。

 

  

 

 

4 2004

優勝 アンタッチャブル

2 南海キャンディーズ

3 麒麟

4 タカアンドトシ

5 笑い飯

6 POISON GIRL BAND

7 トータルテンボス

8 東京ダイナマイト

9 千鳥

 

 

 

この年からM1の参加数が一気に増える。20011603組、20021756組、20031906組、だったが、2004年には2617組まで増えている。

 

 

優勝のアンタッチャブル歴代最高得点であり、レベルが上がっていることを感じさせる。最下位の千鳥も全員が80点以上の点数を付け、大会全体のレベル自体も上がっていることが分かる。

 

 

初の関西出身以外のコンビの優勝であり、人力舎も史上初。人力舎で優勝したのはアンタッチャブルのみ。

 

 

この年の本戦進出者は、ラストイヤーのタカアンドトシ以外は複数回出場であり、レベルの高さが伺える。

 

 

南海キャンディーズがコンビ歴1年目、初の女性芸人の本戦進出と、「初物尽くし」と称された。

 

また、大阪からの本戦出場者より、東京からの出場者の方が多いのはこの回だけ

 

 

漫才のレベルが上がる中で、様々なジャンルの漫才、様々なコンビなど多様性が目立ち始めた。

 

 

 

 

自らのスタイルを貫く個性で闘う漫才が集う時代

 

 

 

 

5 2005

優勝 ブラックマヨネーズ

2 笑い飯

3 麒麟

4 品川庄司

5 チュートリアル

6 千鳥

7 タイムマシーン3

8 アジアン

9 南海キャンディーズ

 

この年も更に参加数が増え、3378組まで増えている。

 

優勝はブラックマヨネーズ20042005にはコント漫才役を振って演じる)漫才が目立ったが、言い合う形の漫才で優勝した。

 

既存の形ではなく、新たな形をら求められ始める時代になった。

 

ここからさらに、勝ち抜くために個性の強い漫才が必要になる時代になってきた。

 

 

 

 

今までになかった新しい個性でなければ受けない時代に

 

 

 

 

6 2006

優勝 チュートリアル

2 フットボールアワー

3 麒麟

4 笑い飯

5 トータルテンボス

6 ライセンス

7 ザ・プラン9

8 変ホ長調

9 POISON GIRL BAND

 

 

 

3922組の頂点に立ったのはチュートリアル

初の満票優勝であり、歴代で唯一。ネタは「冷蔵庫」と「チリンチリン」。

 

 

今までのコンビがフレーズや単語で笑わすのに対し、異質な人間を演じることでその人自体を笑わした新しい形

 

 

個性の強い芸人がこの年は多く、唯一のアマチュア決勝の変ホ長調9人組のザ・プラン92度目の出場であるフットボールアワー

 

 

個性がより強いコンビが多いのは、M11期前半に見られる特色である。

 

 

まだ、芸歴が浅く自らの漫才の形を模索しているのと、技術がない分、個性を重視して笑わせなければならないからである。

 

 

この時点では、M1で勝てる漫才」というのも確立されておらず、各々の個性で勝負していた。

 

 

特に、2005年、2006年は個性が際立つ特徴的な大会であった。

 

 

視聴率は関西地区で、前年が22.4%に対して、31.1%であり、M1という大会の注目度や価値が上がっているのがわかる。

 

 

 

 

注目度の上がるM1。レベルの上がるM1。昨年同様、昨年以上の個性と新しさが必要なのがこの時代

 

 

 

 

ここで一つの時代の変化が訪れる

 

 

7 2007

優勝 サンドウィッチマン

2 トータルテンボス

3 キングコング

4 ハリセンボン

5 笑い飯

6 ザブングル

7 ダイアン

8 千鳥

9 POISON GIRL BAND

 

 

 

2007年の優勝はサンドウィッチマン初の敗者復活戦勝ち上がりからの優勝で賛美されている。一方で、敗者復活戦勝ち上がり組が最終出番で出ることや、準決勝の審査方法が問題視されていた。

 

 

この年はM1における一つのターニングポイントに思われる。

 

 

「テンポが早く、4分間という時間の中でボケ数をどれだけ増やせるか」というのが評価の大きなポイントになってきたのである。以後、「ボケの多い漫才が勝てる漫才」と考えられるようになり、多くの漫才師がボケ数を増やそうとした

 

 

また、M1の人気が高り、M1で何としても勝つ!というM1のスポーツ化が現れ始めた。

 

M1のために、漫才を仕上げるもの、勝てる漫才をするものが多くなってきた

 

M1があるからこそ、漫才界全体のレベルが大きく上がった

 

 

ちなみに、サンドウィッチマンの戦績は2002年は1回戦敗退、2003-2004年2回戦敗退、2005-2006年準決勝敗退。と、M1とともに成長していることがわかる。

 

 

 

 

M1に賭ける者たち。勝てる漫才の出現。スピードの時代へ。

 

 

2007年は新たなM1の始まりと言える。

 

 

 

8 2008

優勝 NON STYLE

2 オードリー

3 ナイツ

4 笑い飯

5 U字工事

6 ダイアン

7 モンスターエンジン

8 キングコング

9 ザ・パンチ

 

 

 

2008年優勝はNONSTYLE

上位3位のNONSTYLE、オードリー、ナイツは言わずと知れたテンポの速い漫才をするコンビであった。史上最速の最終決戦なのではないだろうか。

 

 

その中でも、石田の特徴あるツッコミや、オードリーのズレ漫才、ナイツの言い間違え漫才など、個性を押し出すことで差別化している。

 

 

全ての組の最低点が80点を超えるなど、各々がM1に向け仕上げているが、その中でも、突出するものや技術などを見る時代になってきた。

 

スピードがある、面白い、内容が濃いのは前提で、そこからさらにもう一歩を求められるハイレベルなⅯ1となってきた。

 

 

また、上位三組はいずれも本戦初出場であり、新しい漫才、目新しい漫才は、M1では強い。

 

だが一方で、笑い飯キングコングなどの常連が混在している。

 

 

 

勝てる漫才をするために、必要な技術・経験。そして、スピードがある上で、どれだけ差別化できるかが試されたのがこの時代

 

 

自分たちのスタイルを模索する時代から、勝てる漫才を模索する時代へ

 

 

 

9 2009

優勝 パンクブーブー

2 笑い飯

3 NON STYLE

4 ナイツ

5 ハライチ

6 東京ダイナマイト

7 モンスターエンジン

8 南海キャンディーズ

9 ハリセンボン

 

 

 

優勝はパンクブーブー。テンポの速さは言わずもがな。2007から3年連続で、コント漫才が優勝した。

 

 

一般的なしゃべくり漫才が会話形式であり、ボケを会話と会話で繋げなければいいけないのに対し、コント漫才は、ボケがツッコミに答えなくても良いため早い。

 

また、会話でつなげる必要がないので、色々な場面を見せることができるので、伏線をちりばめやすく、ボケやすい。

 

そして、現大会にも続く、後半でのヒートアップ、スピードアップ、伏線回収による後半の盛り上がりコント漫才が可能にし始めた。

 

 

「スピード」と「後半の盛り上がり」この2つが、勝てる漫才の公式となることとなる。

 

 

また、この年からM1サラブレッドが見られるようになる。

加熱するM1を見て、芸人になったものやコンビなったものがM1本戦に出場するまで力をつけはじめたのである。

 

ハライチや、ハリセンボン、モンスターエンジンM1が始まってからコンビを組んでいる。

 

そういった者たちは、技術こそ劣るが、柔軟な発想や爆発力は、本戦常連の漫才師も脅かしていった。

 

 

 

 

新たにM1を目指したものの発想力・爆発力と、ベテランコンビの技術・経験が対立したのがこの時代。勝てる漫才の公式化へ...

 

 

 

コント漫才が勝てる漫才なのであろうか

 

 

 

 

 

10 2010

優勝 笑い飯

2 スリムクラブ

3 パンクブーブー

4 ピース

5 銀シャリ

6 ナイツ

7 ハライチ

8 ジャルジャル

9 カナリア

 

 

 

2010年優勝は笑い飯。結成2年目の2002年に決勝に進んでから9年連続9回目の本戦出場。

 

Wボケという画期的なスタイルは2002年当時からのスタイルで2年目にして今のスタイルにたどり着いた天才といえる。

 

この年はM11期の最終年ともあり、10年目を超え出られない芸人が増え、新参が目立った

その結果か、一昔前のような、個性のある芸人が目立った。

 

スリムクラブは、速い漫才と逆行する、間をたっぷりとった漫才で最終決戦に駒を進めた。

 

こういった飛び道具で笑いを取る一方で、飛び道具を使う漫才は優勝するのは難しい。審査委員長の島田紳助も言うように、変化球は最初はすごくても二球目は見慣れるということ。本戦一回戦で活躍しても、見慣れた二回目では難しいと言うことだ。M1はより高尚なものになり勝つまでに色々なものが求められるようになった。

 

逆に言えば、9回本戦に出場し、9回見られたスタイルの漫才で優勝した笑い飯は、M1を経てスタイル以上に技術や経験が肥え成長した結果だとわかる。

 

もう一つ、ようやく笑い飯が優勝した理由に、笑い飯のドラマ生があると感じる。

 

9回連続で本戦に出場し、9回負け続けたラストイヤーでの優勝。今まで以上に、漫才だけでなくそこに行くまでのドラマも評価に入りはじめているように感じる。

笑い飯2位のスリムクラブとの差は、たったの一票。その一票を変えるのがドラマだといえる。

 

その日の漫才だけでなく、その一年、人生の集大成として漫才を評価するよになる。

 

 

 

 

勝つために、より多くのことが必要になるM1へ。M1で成長したベテランが優勝も、M1を見て育った新生たちの新たなる時代へ

 

 

 

 

 

 

 

2015年からのM12期では、オープニング映像はより芸人をフィーチャーし、事前番組はこれでもかと芸人のドラマを見せる。

 

敗者復活戦から優勝した和牛、ラストイヤー優勝のとろサーモン最年少優勝の霜降り明星

 

どれも

 

劇的でドラマチック

 

関係あるのか?無いのか?

 

 

 

 

M12期へと続く!!

 

 

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